コラム

市ヶ谷地区見学(市ヶ谷台ツアー)
参加所見

JADCコラム編集委員会

2026.02.20

1. はじめに

市ヶ谷台は、山手線の中心付近に位置する小高い丘である。江戸時代は尾張藩上屋敷、明治の旧帝国陸軍建軍後に設置された陸軍士官学校が座間に移転した後は、陸軍参謀本部、教育総監部などが所在した激動の歴史の舞台の一つでもある。現在は、我が国の国防政策の中枢の地であり、そこでは約1万人の制服組と文官が協働・勤務しており、同じ敷地内に陸・海・空自衛隊の部隊が配置されている。

防衛省大臣官房広報室が企画し実施している市ヶ谷地区見学(市ヶ谷台ツアー)に参加したので、本コラムではその概要と所見を紹介したい。

2. 概要

令和7年6月下旬某日の昼下がり、市ヶ谷正門に参加者が集合。参加手続きを済ませた後、靖国通り沿いのフェンスの内側、緑で日差しを避けた台端部に沿った静かな道をガイドに従って進むと、古いコンクリート塀に鉄扉の入口に到着。最初の見学は、大本営地下壕跡(大本営地下指揮所跡)からはじまった。

大本営とは、かつて、天皇陛下が旧軍を統帥するために戦時に位置された場所だ。戦前・戦中、旧陸・海軍を束ねた統帥機関であり、皇居近くにある市ヶ谷地区の陸軍士官学校本部庁舎(当時)に設置されていた。太平洋戦争(大東亜戦争)末期に、戦局がさらに悪化しても戦争指導が継続できるよう市ヶ谷台地下に設置したのが大本営地下壕である。地下壕には照明が設置されているが薄暗く、酷暑の時期にもかかわらず、とても涼しく、まるで鍾乳洞の中にいるようだった。

現在は部屋の仕切り、当時の事務器機や調度品などはなく、幅・奥行き各約50メートル、高さ約4メートルの壕が、東西南北に、旧陸軍士官学校本館のあった現在の防衛省庁舎A棟に向けて走り、天井や壁から古びた電線や鉄骨が見え隠れする。その空気に触れ、昭和20年8月14日の御前会議における天皇陛下の聖断を、阿南陸軍大臣(当時)が参謀たちにこの場所で伝えたとの説明を聞き、当時の余韻が感じられるかのようであった。

地下壕跡を見学

大本営地下壕跡を後にした私たちは、再びフェンス沿いに進む。途中、訓練中の数人の体育訓練中の自衛官たちとすれ違った。次に案内されたのは「市ヶ谷記念館」であった。市ヶ谷記念館は旧陸軍士官学校、戦後は陸上自衛隊東部方面総監部本部庁舎として使用された建物の一部であり、現在のA棟の場所にあった。六本木に所在していた防衛庁の市ヶ谷移転に伴い、平成6年に旧庁舎は解体されたが、歴史的に継承していく必要のある主要部および主要機能を保存するため、市ヶ谷地区西地域に大講堂、旧陸軍大臣室(東部方面総監室)、旧便殿の間(陸上自衛隊幹部学校長室)を再建(再現)したものである。

正面玄関を入ると、極東国際軍事裁判(東京裁判)の行われた旧陸軍士官学校の講堂が、当時の天井、壁、床の部材をほぼ使用して、重厚感を持ちながら忠実に再現され、日本の歴史の分岐点になった空気・空間を今に残している。ガイドの方から、講堂内部の高さ、床の傾き、壁材など、すべて(天皇陛下が着席された)玉座からの視点を基準として緻密にデザインとされていることや、裁判時の講堂内の具体的な配席、証言台を含めたレイアウトなどの詳しい説明を伺い、当時の様子を思い浮かべた。

大講堂を後にして、次に階段を上り向かったのが、旧陸軍士官学校時代、天皇陛下の休憩所であった旧便殿の間であった。卒業式に天皇陛下が出席された際、この部屋でお休みになったのであろう。客を迎えることはしない外開きの重厚なドア、そして分厚い窓枠の上部についた地下の涼風を取り込む通風孔は、天然のエアコンとの説明を受けた。部屋に展示されていた旧陸軍大演習の集合写真は、天皇陛下を中心に文字通り演習に参加した全士官が整列した写真であり圧巻であった。

最後は、戦前は陸軍大臣執務室として使用され、戦後返還後は東部方面総監が使用した執務室に案内された。こちらは、バルコニーも含めて三島事件の舞台でもあり、室内のドアには当時の刀傷が生々しく残っていた。

最後のスポットのある厚生棟に向かう道すがら、軍人の銅像が立っていた。戦後のインドネシア独立戦争(1945-1949年)で同軍を指揮したスディルマン将軍である。彼は国民的英雄であり、日本の教育・訓練を受けたそうだ。平成23年に、日本とインドネシアの防衛協力と交流の象徴として、インドネシア政府から寄贈されたものとの説明を受けた。先人の同国独立への貢献が、国家レベルで認められていることを知り、不勉強を恥じるとともに、嬉しく感じた次第である。

最後は、A棟裏にある厚生棟の防衛省広報展示室にて、自衛隊の歩みを紹介した資料群を見学した。戦後、警察予備隊の創設から今日まで、領海・領空の警備、そして、訓練を通じた練度の向上・維持を通じ、我が国の抑止力を絶え間なく保持したこと、冷戦時代を経て、湾岸戦争を契機に開始した国際貢献、平成に入って発生した多数の災害への対応等、任務が拡大されたことなど、平和という私たちの当たり前の日常の前提を、70年にわたって地道に、確実に提供してきてくれた自衛隊。その歴史を時代ごとに整理したカラーパネルに見入った一時であった。

自衛隊の歩みは、戦後の体制下、それぞれの時代、さまざまな困難があったことは想像に難くない。かかる状況の中で、日米同盟下とはいえ戦争抑止を成功しつづけている取り組みの努力に、敬意と感謝の気持ちを禁じ得ない。現在の混沌とした国際・周辺情勢の中にあって、引きつづき彼らの努力に期待し、また、感謝していく。日本人としての決意が、自分の胸に自然と沸き上がる新鮮な感覚を覚えつつ、ツアーの全プログラムを終了したのであった。

3. 所見

市ヶ谷地区は、外側からは正面台上にそびえたつA棟、そして遠くからも確認できる高いアンテナ鉄塔の威容が印象的ではあるが、敷地内には縦横に道路が走り、さまざまな役割の機関や部隊の入居する多くの建物がある。戦史や国防に関する研究機関である防衛研究所もここにあるそうだ。そして、部隊の隊員の方々の生活隊舎もあり、体育館、各種売店、理髪店、コンビニ、保育所、厚生棟前にはキッチンカーや献血車までも見かけた。そこを、制服、背広の方々、体育服装やカジュアルな服装の隊員、幼児を連れた母親と思しき人たちが往来し、道路では、官用車に加え納入業者の車両などが行き交う。さらに、各店舗で働く人々、作業する業者の人々など、外と変わらぬ空気が流れる。

その傍ら、旧軍等の遺構がたたずみ、戦中・戦後の先人の活動、ここで起きた歴史と事実を、静かに伝えていた。終戦から80年、今日、名誉を回復された方々も含め、すべての先人の方々の営みがあって私たちがある。アジアの人々への貢献の史実も確認することができた。これらのことを決して忘れてはならないと思う。

ツアーにおいて、自衛官の方々と直接コミュニケーションする機会はなかったが、私たちと同じ時代に生きる人たちが、防衛、国防を自らの役割として選び、このエリアで日夜真剣に勤務し、それを支える多くの人たちがここで働いている。遺構の見学が中心ではあったが、敷地内を徒歩で移動をしながら、そのことも改めて感じながら、考えさせられる約2時間半でもあった。彼らの入隊にあたって決意とそれ以降の努力に衷心より敬意を払い、かつ報いるためにも、真摯な業務で支援・応援していくとの決意を新たにした機会であった。

4. 終わりに

私は、防衛コンサルタントの一人に過ぎないが、今後も我が国の歴史や防衛の現場に関心をもちながら、勤務していきたい。また、会社の後輩たちに市ヶ谷台ツアーの参加を勧めたいと思う。

大変貴重な経験をさせていただき、気づきと勉強の場をいただいたツアーで、ガイドいただいたみなさまをはじめ、関係者の方々に心よりお礼申し上げます。

市ヶ谷記念館
大講堂

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