JADCレポート

シリーズ

新たな領域が防衛力ドメインに追加された背景(2)(2025/11/28 公開)

4. 宇宙・サイバー領域の新領域としての起点

新領域である宇宙領域とサイバー領域の起点は、第二次世界大戦後の超大国であった米ソの冷戦期の双方の威信をかけた宇宙開発競争に端を発しています。その共通の出発点となったのが「スプートニク・ショック」です。

米国は既に核爆弾を大量に保有していましたが、ロケットによる投射は未だ研究段階で、投射のためのプラットフォームは主に戦略爆撃機でした。第二次世界大戦勝利の余韻の残る米国では、仮にソ連が核開発に成功したとしても、依然アメリカ断然優位であると信じられていたと言われています。ソ連は1957年10月4日、地球周回衛星スプートニク1号の打ち上げにはじめて成功し、すぐにニキータ・フルスチョフ ソ連首相はミサイル戦略のソ連の優位性を世界に向け発信しています。

スプートニク・ショックは、米国の自尊心と自信が大きく揺らぐことになったイベントとされ、合衆国National Parks Service ホームページに掲載されている記事 ”The Shock of Sputnik”には当時の様子がよく表れています。

ソ連は技術的にアメリカを追い越し、宇宙の覇権を握ったのであった。ソ連の科学界は、この勝利を誇示した。打ち上げ直後、あるモスクワの科学者は「アメリカ人は自動車のスポイラーを設計するのが得意だが、我々は大陸間弾道ミサイルと地球周回衛星を設計することができる。」と誇らしげに述べ、アメリカの誌面では「ソ連に追いつかなければ、我々は滅びる」という見出しが躍った。

この成功の意義は、衛星を宇宙に投射した巨大なソ連製のロケットにあり、数千マイル離れた標的に向けてミサイルを発射できる能力をすでにもっていることが証明されたことであった。また、さかのぼること4年、ソ連は水爆実験を既に成功させていた。これらの事実を合わせると、ソ連は、1時間以内にアメリカの都市に水爆を投下できるようになっているのである。このことは、アメリカ全土に「真珠湾攻撃の雰囲気」を蘇らせた。軍事顧問の要請と国民からのプレッシャーを受けたドワイト・D・アイゼンハワー大統領は、渋々ながらもアメリカのICBM計画を加速させる決心をした 。(以後略) ※1 ※2

第二次世界大戦後期以降、米ソは、核爆弾の投射プラットフォームであるロケット開発を加速させるため、ドイツのミサイル技術とミサイル計画に携わる多くの科学者達を多数囲い込んできていました。当時、こうした核兵器開発に必要な技術優位性は、国家安全保障と政治的優位性に不可欠と考えられていました ※3

戦後、米国は空軍を創設、当面の核投射の代替手段となる戦略爆撃機を管理・運用する枠組みを構築しました ※4 。他方、当時、米国には宇宙を専門とするNASAのような国家機関が存在しておらず、宇宙開発は陸・海・空軍により別々に行われるといった非効率的な体制でした。かかる状況の下、スプートニクの発射成功は、これらの隙をついた技術奇襲であったとも言えます。

アイゼンハワー大統領は、科学諮問委員会メンバーを招集し、これ以降の対策について専門家に意見を求め、1958年に設立したのが高等研究計画局(Advanced Research Planning Agency:ARPA、後の国防高等研究計画局 Defense Advanced Research Planning Agency:DARPA)です。米国防衛の「科学的改善」を追求することを目的に、20世紀後半のもっとも優秀なエンジニアや科学者たちが数多く集められました。

5. 宇宙領域 ※5

スプートニク・ショック以降、米ソの冷戦の一つは、宇宙技術開発競争を巡り繰り広げられることとなります。宇宙開発に不可欠なロケット技術は、核兵器プラットフォームである大陸間弾道ミサイル(InterContinental Ballistic Missile:ICBM)技術に直結しています ※6 。また、必要とする投資も、当時の民間企業の能力を超える規模のものであり、軍事上の必要性から政府が準備する巨額の資金を投入しなければ、ロケット技術開発はできなかったと言われています ※7

スプートニク・ショック(1957年)後

1958年、米国においては、国家航空諮問委員会(National Advisory Committee for Aeronautics:NACA)に代わって、航空宇宙局(National Aeronautics and Space Administration:NASA)が設立され民生分野の宇宙活動を担当、国防省が軍事・安全保障の宇宙活動を担当する体制が確立されました。

1960年代

1961年 ユーリー・ガガーリンを乗せた世界初の有人宇宙船「ボストーク1号」が地球一周後の帰還をはじめて成功、米国は再度ソ連の後塵を拝することとなります。その直後、1961年5月25日、J・F・ケネディ大統領は、10年以内に人類を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる等の野心的な目標を連邦議会合同会議にて発表しました ※8

1969年7月 アポロ11号が月面着陸成功に成功し、米国の技術的優位性を証明しました ※9 ※10 。これを機に、アポロ開発に対する米国の国内世論の関心が次第に薄れ、米国は巨大な財政負担のかからない宇宙開発に舵を切っていきました。

1970年代

1972年、リチャード・ニクソン大統領は、スペースシャトル計画を発表しました。計画は、1978年までの有人飛行とその後の運用開始を目標としていました ※11

1980年代

1981年 スペースシャトル「コロンビア」初の打ち上げに成功しました。

1983年3月23日、ロナルド・レーガン大統領は国民に向けたテレビ演説で、核兵器を時代遅れにする画期的な国家防衛システム、戦略防衛構想(SDI)の研究に着手する意向を表明しました。SDI計画の中核は、大規模な核攻撃から国家を守る宇宙配備型ミサイル防衛システムの開発計画でした。

冷戦の終結に貢献したとされている同構想 ※12 ですが、1980年代半ばには大きな世論の支持を集め、構築可能と広く信じられていた一方で、実現に必要な技術的ハードルが当時あまりにも途方のないものと専門家の間で認識されていました ※13 ※14 ※15 。米国政府は同計画に多額の資金(10年間で最大300億ドル)を投入しましたが、冷戦終了後の1993年、ビル・クリントン大統領により正式に廃止されました。

1990年代

1985年、ミハイル・ゴルバチョフは、宇宙探査の成果は「科学技術を牽引する効果的な機関車になる」とし、宇宙計画から軍を遠ざけるため、対外的な開かれた宇宙機関「グラヴコスモス」を創設、ソ連の経済を立て直す手段の一つとして、宇宙技術(研究成果、物、サービス)の販売を本格的に開始します。このことは技術拡散につながるため、国際社会において、核技術とともにポスト冷戦期の世界秩序への影響が強く懸念されました。その裏側で、米国のSDI計画に対応する形で、ソ連版の攻撃型スターウォーズ計画が進行していましたが、ゴルバチョフの意向で打ち切りとなり米ソの緊張緩和が図られていきます。

西側は国際宇宙ステーション(International Space Station: ISS)計画を検討していましたが、冷戦終了後の1993年12月、旧ソ連のこれら技術拡散防止のため、参加国の合意の上でロシアの参加を決めます。そしてISSの設計は、ロシアの「ミール2」宇宙ステーションのモジュールを取り込んだ形状に大きく変更しました ※16 。一方、ロシアは、外貨獲得のために、西側に対し衛星打ち上げサービスの廉価での販売を開始しています。

米国においては、1992年以降インターネットの商用利用が可能となり、インターネット・ビジネスで資産形成する者が表れ始めます ※17 。イーロン・マスクもその一人で1999年に電子決済の会社を起業、ビジネスの成功により多額の資金を手に入れ、それを元手に2002年に宇宙ベンチャーであるスペースX社を立ち上げるに至ります ※18

2000年代頃以降

ロシアを巡る状況

冷戦が終了し、大統領に就任したボリス・エリツィンは、社会と経済の立て直しを優先した取り組みを進めました。その結果、ロシアの宇宙開発費は減少、人材と宇宙関連のインフラの維持が極めて困難な状況となります。それに対し、宇宙技術拡散の防止のため、米国の巨大企業は合弁事業という形で手を差し伸べ、また米国政府もロシア支援と自国の安全保障が両立する方法を模索していきます。

1999年、ウラジミール・プーチンが2度目の政権の座につき、ロシア国内の宇宙関連および同インフラの改善が徐々に図られていきます。

2011年、米国のスペースシャトルの運用が終了し、ソユーズ宇宙船はISSへの輸送の唯一の手段となります。

2014年、ロシアがクリミアに侵攻、米国とEUはロシアに対して制裁措置を課しました。ロシアは、程なく2021年以降のISSへの運用への協力と、ロケットエンジンの米国への輸出を停止するといった対抗措置を発表しました。このことは、ロシア(の製品・技術)により支えられていた米国の宇宙関連事業の数十ミッションが影響を受けることを意味していました。2015年、米国はロシアに課した禁輸措置は解除し、協定は継続されることとなります。米国が禁輸措置を課している間、そして解除後、2018年NASAが輸送経費を増額するなどにより、ロシアの宇宙輸送は継続されます。

クリミア侵攻に対する制裁措置により、石油・天然ガスの収入の不振がつづいていること、軍民両用製品の供給が制限されていること、ロシアが軍事支出を優先していることなどから、その後もロシアの宇宙計画は依然不振が継続することになります。

2022年、ロシアがウクライナに侵攻、ロシアの領土拡張の野望と国際秩序への挑戦に対し、警戒感が高まり今日に至っています。米欧の経済制裁やエネルギー価格の下落に影響を受ける一方、戦争継続のためには資源投資が必要であり、ロシアの宇宙に係る計画や活動に深刻な影響が出ている可能性がありますが、中国との協力が拡大しているとの指摘もあります ※19

米国を巡る状況

国策

1998年、ISSの建設が開始されましたが、2003年1月、スペースシャトル「コロンビア」がISSでの任務を終えての帰還中、大気圏再突入時に空中分解し、宇宙飛行士7名の命が失われ、1981年の初飛行から20年以上が経過して老朽化の進むシャトルの取り扱いがクローズアップされることになります。

2004年1月、ブッシュ大統領は新たな宇宙政策を発表、その内容は、スペースシャトルとISSの2010年での終了(スペースシャトルは2011年に終了)、新型宇宙船の開発、2020年を目標とした有人月面探査計画への着手というものでした ※20

2010年4月、オバマ大統領は、スペースシャトルの運用終了に伴うISS(現在、2030年まで延長)への輸送代替手段として、民間企業より宇宙輸送サービスを購入することに加え、深宇宙到達のための大型ロケットの研究も開始し、2025年に同有人ミッションを開始、2030年代半ばまでに、人類を火星軌道に送り込み安全に帰還させると述べました ※21

民間委託プロジェクト

冷戦後、ロシアの安価な打ち上げ手段が提供されるようになりましたが、欧米、日本では小型・超小型衛星の開発が活発化し、小型ロケット打ち上げの需要が拡大していました。そのチャンスにチャレンジしたのがスペースXでした。最初にスペースXが開発した「ファルコン1」ロケットの最初の顧客はDARPAであり、米国はベンチャー企業の製品を積極的に購入することで支援しました。打ち上げにあたっても、米軍保有のミサイル試験場を使うことを許可し、ファルコン1は2006年に初打ち上げが行われました。2009年の5回目の打ち上げでマレーシアの地球観測衛星「ラザクサット」を搭載しての打ち上げに成功しました ※22

2006年以降、NASAは「国は民間に注文を出し、民間が主体になって技術開発を行う。ただし、民間は技術開発投資を負担しきれないので、国が大規模に補助金を出す。」という要領を、ISSへの補給物資の輸送手段取得事業に対して適用していきました。これに応募したスペースXは、オービタル・サイエンシズ(OSC)とともに採用され、最終的にスペースXはドラゴン補給船・ファルコン9ロケット、OSCはシグナス補給船・アンタレスロケットにより、ISSへの物資輸送を担うことになります。

その後、スペースXは国の補助金事業にファルコン9を投入しつつ、第1段ブースターの回収・再利用の試行錯誤を進め、2016年、海上プラットフォーム上に第1段ブースターを回収成功、ロケットのブースターを回収して再利用する仕組みと体制が確立、2018年最終完成形のブロック5の運用が開始されます。第1段ブースターの回収と再利用は、ロケットの生産設備を増強せず打ち上げ回数を増やすことができる点にありますが、このメリットを享受するためには打ち上げ回数を増やす必要がありました。その需要を賄い、収益を得ることに着想したのが2015年1月に公表した衛星コンステレーション「スターリンク」構想で、いわゆるスペースX社によるエコ・システムが完成したのでした。試験や許可申請を経て、2019年5月からこのための衛星の打ち上げが開始、一度の打ち上げで60機の衛星を打ち上げる効率的な形式がとられ、2024年3月には6000機を突破するに至っています ※23

2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻で始まったロシア・ウクライナ戦争において、ウクライナのフョードロフ副首相兼デジタル転換相は、2月26日にツイッター(現X)を使ってイーロン・マスクに「スターリンク」システムのサービス開始を要請、彼は即日了解しウクライナ全土でのサービスをリリースしました ※24 。一方で、今回のケースは、テック企業の経営者の判断が戦争に影響を与えた過去にない事例と言われています ※25

現在の状況

2030年までに延長された国際宇宙ステーション(ISS)については、現在、スペースX、ボーイング、そしてノースロップ・グラマンのサービスを使用して宇宙飛行士や物資を輸送している状況です。そして、米国は、アルティメス計画 ※26 の推進中であるとともに、将来の有人火星ミッションに向けて準備を進めている段階です。また、宇宙空間の軍事利用を進める中国、ロシアに対抗するため、2019年、米国における6番目の軍種として宇宙軍を創設しました。主な任務は、軍事衛星の打ち上げや運用、宇宙空間での監視活動の強化とされています。現在、日本と韓国にその隷下の在日米宇宙軍、在韓米宇宙軍を設置し活動を開始しています ※27

中国を巡る状況

中国は、毛沢東が掲げたスローガン「両弾一星」を冠したプロジェクトにおいて核・宇宙開発を開始し、1970年に人工衛星の軌道投入に成功した5番目の国家になりました ※28 。また、湾岸戦争における「砂漠の嵐作戦(Operation Desert Storm)」やコソボ紛争でのアライド・フォース作戦(Operation Allied Force)を目の当たりにし、宇宙を「戦略的高地」と認識して宇宙開発を推進してきています。そして、2015年の国防白書によると空軍の目標を「空天一体」(航空と宇宙の統合)「攻防兼備」(攻撃と防御の双方を重視)としています。

中国は同年、人民解放軍に「戦略支援部隊」を新設、新領域に重点をおいていることを鮮明にし、対宇宙線能力、宇宙船とロケットの製造、有人宇宙飛行、自国の宇宙ステーションを宇宙で建設することに注力してきましたが、2024年、同部隊は廃止され、新たなに軍事宇宙部隊、サイバー空間部隊、情報支援部隊・聯(れん)勤保証部隊の4部隊が編成されました。この改編で人民解放軍は4軍種(陸・海・空・ロケット)と4部隊から構成されることとなりました。軍事宇宙部隊が宇宙作戦を、サイバー空間部隊が攻撃面を重視するサイバー作戦、情報支援部隊がネットワーク情報システム体系の構築と防護、聯勤保証部隊はロジスティクス担当のフォースプロバイダー部隊であると考えられています ※29

中国の「長征」 ※30 ロケットは手頃な価格で魅力的な選択肢であり、中国は、2007年までにロシア、米国に次ぐ衛星打ち上げ国として、ヨーロッパを抜き三位となり、2011年には米国を抜いた一方で、人民解放軍が継続的に関与しており、その点に関心が集まっています。また、中国は、2035年までにロシアと共同で月面に原子炉を設置する共同計画を発表しています。なお、米国は中国を警戒しており、かつ宇宙計画において表面上は一貫して中国を排除してきています。

一方で、米国は2005年、「神舟」 ※31 有人宇宙ミッションの安全軌道確保の支援のため、スペースデブリに関する追跡データを中国に提供。翌2006年、ブッシュ大統領が将来の宇宙協力について提案。2009年、オバマ大統領は胡錦涛主席との首脳会談後、宇宙開発に関して対話することを提案。2010年、ボールデンNASA長官が訪中。2014年、衛星がITARの規制品品目から除外。2015年中国の宇宙飛行士をISSに招待することについて議論されるなどの動きもありました。ISSプロジェクトが終了すれば、ヨーロッパ宇宙機関からの協力が予定されている中国の独自開発中の「天宮」 ※32 宇宙ステーションが、実質次のISSとなる可能性があり、米国としては中国との関係について模索している事情があると考えられます。

ASATを巡る状況

1950年代後期、アメリカは初の衛星攻撃兵器(Anti-Satellite Weapon: ASAT)である空中発射弾道ミサイル「ボールド・オリオン(Bold Orion)」を開発しました。ソ連も独自のASAT計画でこれに対抗し、1960年代から70年代にかけて「Co-Orbit」と呼ばれる兵器を開発しました。これは、標的衛星の軌道に投入され、射程圏内で起爆して破壊する仕組みでした ※33

1980年代、ソ連のCo-Orbit攻撃に対抗するため、空中発射型のKE(Kinetic Energy)-ASATであるASM-135兵器を開発しました。このASATは、衝突によるエネルギーを利用するため、より安定した攻撃が可能となりました。

2007年、中国はKE-ASATの実験に成功し、旧式の気象衛星を弾道ミサイルで破壊しました。そして昨年、インドも政府が「ミッション・シャクティ」と呼ぶASATの実験に成功しました。

ロシアは「ヌードル(Nudol)」と呼ばれるASATシステムを開発しています。このシステムは低軌道(Low Earth Orbit : LEO)で運用され、軌道間を移動できるため、単一の軌道に限定された兵器よりも多くの衛星を脅威としています ※34

人工衛星は情報通信基盤で重要インフラであることから、ASATによる人工衛星の攻撃は費用対効果が大きく、非対称な攻撃の一つとみることができ、技術が先行する国家を攻撃する効果的な選択肢と見ることができます。しかしながら、キネティック火力による攻撃は、デブリを発生させるなど宇宙環境を悪化させるため批難の対象となることに加え、今後の宇宙利用の障害となるため、国連宇宙平和利用委員会はガイドラインを発表しています。

2000年以降の相次ぐ中露のASAT実験を受け、2022年、米国はASATの発射実験を今後実施しないことを確約することを発表しています。

6. サイバー領域 ※35

1960年代

ARPAにおける、初期の研究の重点はミサイル防衛システムと核爆弾実験の検知でした。そして、ARPAがネットワーク化されたコンピューターについての研究を開始したのは、スプートニク・ショックの5年後の1962年にJ・C・R・リックライダーが経営陣に加わってから、さらに言うと、プログラム マネージャーのジョセフ・カール、ロブネット・リクライダー博士の指揮下で開始した取り組みが起点と言われています ※36

同年、カリブ海において、米ソの緊張が核戦争の寸前にまで高まりましたが、ソ連が核ミサイルをキューバから撤去、それを受け、米国が海上封鎖を解除したことで、核戦争の危機は回避されました(キューバ危機)。

これらの時代背景下、米国当局は、核攻撃から指揮統制ネットワークがどのようにして生き残れるかの検討を開始しました。RAND研究所のポール・バランは「冗長性」と「デジタル」技術を用い、集中交換機を持たない、リンクや交換ノードの多くが破壊されても運用可能な「分散通信方式」の通信ネットワークを提案しました。

ARPANET は 1969年、バランの提案した分散型コンセプトを採用し、カリフォルニア大学サンタバーバラ校とスタンフォード研究所(SRI)の接続を皮切りに、カリフォルニア大学ロサンゼルス校、ユタ大学、の4つのノードを接続することで、ネットワークとして起動しました。

図1:通信ネットワーク(文献39より)

1970年代

その後、回線ベースの通信から来る問題を、パケット交換の概念を取り入れることで解決し、地理的に離隔した複数のノードが追加され、そのネットワーク機能の最初の主要なデモンストレーションは 1972 年にワシントン DC で行われています。この時、国防総省 (DoD) は、指揮統制(C2)にコンピューターを使用することに関心を示していました。

この当時の軍は、装備(戦車、航空機、艦船等)を相互に接続するモバイルネットワーク、つまり、専用電話回線を使ってコンピューター施設同士を接続していた当時のARPANETとはやや異なる、無線と衛星システムを活用する能力を求めていました。それを受けて1973 年までに、DARPA の支援を受けた研究者達は 4つの異なるパケット交換技術を考案、無線、衛星システムを含む相互通信の標準化を達成します。

1974年には、ボブ・カーンとヴィント・サーフの両博士は、データパケットをデジタルエンベロープ(封筒)である「データグラム」で送信する新しい方式を提案、この方式を伝送制御プロトコル(TCP)と呼びました。TCPはコンピューターが共通の言語で会話することを可能にし、ARPANETがグローバルなネットワークに成長することを促進しました。IPは、インターネット・プロトコルの略で、TCPと組み合わせることで、インターネット・トラフィックが宛先を見つけることを可能にします。接続されたすべてのデバイスには固有の番号IPアドレスが割り当てられ、このIPアドレスにより世界中のインターネットに接続されたすべてのデバイスの位置を特定することを可能にしました ※37

そして、最初のTCP/IPプロトコルは1975年にスタンフォード大学で実装されました。DARPAの資料には、1977年に米軍基地、政府研究所、そして大学の接続数が大幅に拡大したと記録されています。その後、数年間のテストが進むにつれ、このプロトコルは、世界中のコンピュータシステムに実装されるようになり、ARPANETへの接続数は飛躍的に増加することになります。

1980年代

1983年ARPANETは、伝送プロトコル(TCP)とインターネット・プロトコル(IP)に完全に切り替えられ、十分な数の個別ネットワークが接続され、実質インターネットへと進化したと言われています。そして、同年、急速に拡大したARPANETから軍事部門のネットワークはMILNETとして分離されます。その後、1989年にARPANETの名称は廃止され、「情報スーパーハイウェイ」 ※38 とも呼ばれた「インターネット」の名称に置き換えられ、今日に至っています ※39

ARPANETとして産声を上げたインターネットは、1980年代初頭までにその技術的基盤が整います。その後、DARPAと国防総省の継続的な支援を受けて学術界でも利用可能となり、他の政府ネットワークの立ち上げにもつながるなど、20 年以上にわたって熟成し、1989年、インターネットに吸収されてその役割を終えたのです。これらを支えたDARPAの研究は、情報革命の勃興において中心的な役割を果たし、今日のインターネットの概念基盤の多くを発展させたと評価されています。

なお、カーター政権のハロルド・ブラウン国防長官が、敵対勢力(旧ソ連)の数的優位を相殺するため、相殺戦略(第二次相殺戦略)を1975年に提唱、それ以降、情報技術をターゲットとし、同分野の技術的優位を重視するといった背景があり、DARPAプロジェクトはその一環とも言えます。当時のDARPAで生み出された技術には、J-STARS(統合監視・目標攻撃レーダーシステム)、グローバルホーク、F-117ステルス戦闘機、B-2ステルス爆撃機、精密誘導弾、全地球測位システム(GPS)などが挙げられます ※40

図2:将来(1986年)能力を実現するための具体的要素

冷戦終結後

ARPANETが役割を終えた1989年12月、地中海のマルタ島で行われたブッシュ大統領とゴルバチョフ書記長による首脳会談で、冷戦終結が宣言されます。

図2は、冷戦期に米国がソ連と対峙するための米陸軍の「エアランド・バトル」ドクトリンの1981年時点での将来(1986年)構想図です。DARPAが主導してきた情報技術は、米軍が同ドクトリンを実現することを可能とし、米軍が、それを実行するための訓練による練度の維持と、前方展開の即応態勢をとることにより、旧ソ連による欧州正面の地上侵攻を抑止することを達成したと評価されています。加えて、1991年、米国は湾岸戦争において有志連合とともに戦った「砂漠の嵐作戦」において、エアランド・バトルの原理を活用して、イラク軍を圧倒します。冷戦直後、地球上で唯一の超大国として君臨する米国の圧倒的な技術力を、世界がテレビ映像を通じて固唾をのんで見守った出来事でした。

インターネット及び情報技術の発達と普及により、冷戦後、廉価で汎用性の高い集積回路やセンサー、それらを製造するハードウェアが登場・普及すると、米国は、敵性国や非国家主体によるテクノロジ進歩のコントロールが困難となり、混迷の時代へと進んでいきます。

Network Centric Warfare

Network Centric Warfare(NCWという。)は、1990年代にアーサー・K・セブロウスキー米海軍提督が提案した、(相殺戦略などで進展した当時の)情報技術を基礎として、軍事組織をネットワーキングすることで、認識の共有、迅速な指揮、作戦テンポの向上、殺傷力の増大、残存性の増大、自己同期を促進するという「戦い方」のことを指します。当時、それまでの米軍の“Platform-Centric”(装備中心)の考え方から、“Network-Centric”(ネットワーク中心)の考え方への遷移を促した革新的なアイディアでした ※41

2001年1月に発足したジョージ・W・ブッシュ政権は、NCWの考え方を取り込んだ米軍再編「トランスフォーメーション」を国防省の機能発揮を担うすべてのプロセスまでも含め、それが国防戦略、国家安全保障戦略の重要な構成要素の1つとして位置づけた上で本格的に開始します。この取り組みは、冷戦体制にあった当時の米軍を、21世紀の安全保障環境に適合させることを目的としていました。

2001年9月米国同時多発テロが発生、対テロ戦争が政府の最優先課題となったため、このワードが現れる機会が減少していくことになります。

(つづく)

  • アイゼンハワー大統領は、戦略爆撃機による核報復(大量報復戦略)によりソ連を抑止する一方で、通常軍備の削減により国防費を削減するニュールック政策(相殺戦略(第1次相殺戦略))を推し進め、大規模な軍拡競争を避けるべく軍事費の削減に着手していた。
  • “The Shock of Sputnik”, National Park Service HP 米国内務省国立公園局ホームページ https://www.nps.gov/articles/mimiarmsrace-01.htm(Accessed August 2025)
  • “Space race timeline”, Royal Museums Greenwich HP 英国グリニッジ王立博物館https://www.rmg.co.uk/stories/space-astronomy/space-race-timeline(Accessed August 2025)
  • 第二次世界大戦期には米空軍は存在しておらず、戦略爆撃機は陸軍所属 菅野隆『アメリカ合衆国陸軍の基本的運用の変遷と背景』P.36, independent-publishing , 2020.7
  • 『宇宙の地政学(上)(下)』ニール・ドグラース・タイソン、エイヴィス・ラング著、北川蒼、國方賢訳, 原書房(2019)
  • 宇宙ロケットが開発されたのはアポロ計画以降。それまでは米ソとも打ち上げロケットとしてICBMを使用していた。
  • 松浦晋也『日本の宇宙開発最前線』(扶桑社新書 2024.7), P.29
  • “The Decision to Go to the Moon: President John F. Kennedy’s May 25, 1961 Speech before a Joint Session of Congress”, https://www.nasa.gov/history/the-decision-to-go-to-the-moon/(Accessed in August 2025)
  • アポロ計画は1967年から1972年にかけて実施された。
  • “APOLLO A retrospective analysis”, https://www.nasa.gov/wp-content/uploads/2023/04/sp-4503-apollo.pdf (Accessed on August 2025)
  • “President Nixon’s 1972 Announcement on the Space Shuttle”, https://www.nasa.gov/history/president-nixons-1972-announcement-on-the-space-shuttle/ (Accessed August 2025)
  • 米国はSDI構想がソ連の敗北を促したと評価しているが、SDIの影響は限定的であり、ソ連の内部的な進展が主な原因であるとの指摘もある。Pavel Podvig、“Did Star Wars Help End the Cold War? Soviet Response to the SDI Program”, SCIENCE & GLOBAL SECURITY 2017 VOL. 25, NO. 1.3-27 https://scienceandglobalsecurity.org/archive/sgs25podvig.pdf (Accessed August 2025)
  • https://www.history.com/articles/reagan-star-wars-sdi-missile-defense(Accessed August 2025)
  • 「スターウォーズ計画」は正式名称ではなく、その実現の困難性ゆえにSFに揶揄した呼び名であった。ただし現在は、ミサイル防衛に対する考え方に革命をもたらしただけでなく、衛星監視や通信といった他の技術分野にも大きな進歩をもたす契機になったと評価されている。
  • レーガン政権は、安全保障上の懸念から、国家がコントロール可能な国際機関が実施するとしていた国際衛星通信を、民間に市場開放した。 『日本の宇宙開発最前線』松浦晋也 (扶桑社新書 2024.7)P.36
  • 前掲『日本の宇宙開発最前線』, P.74
  • 前掲『日本の宇宙開発最前線』, P.78-79
  • 2004年にはテスラ・モータースに出資して筆頭株主となり、同社会長に就任することになる。 “イーロン・マスク 「21世紀の自動車王」”. 東洋経済オンライン (2012.11.27) https://toyokeizai.net/articles/-/11865(Accessed Sept 2025)
  • 長島純, 「四重苦のロシア、「宇宙計画」で中国と協力拡大へ」, 東洋経済オンライン, 2024.02.19 https://toyokeizai.net/articles/-/731160(Accessed Sept 2025)
  • Remarks by the President on U.S. Space Policy, NASA Headquarters, NASA HP, https://www.nasa.gov/history/vision-for-space-exploration/(Accessed Sept 2025)
  • Remarks by the President on Space Exploration in the 21st Century, John F. Kennedy Space Center, April 15, 2000, https://obamawhitehouse.archives.gov/the-press-office/remarks-president-space-exploration-21st-century (Accessed Sept 2025)
  • 前掲『日本の宇宙開発最前線』, P.84
  • 前掲『日本の宇宙開発最前線』, P.129
  • 前掲『日本の宇宙開発最前線』, P.131
  • 菅野隆「露宇戦争のサイバー領域への示唆 〜第2報 我が国の国家安全保障戦略への教訓の反映の状況など〜」, 知の再配分白書Vol.3, 2023.3, JADC HP https://shift-jadc.jp/assets/doc/SHIFT_industrytrend_vol03.pdf(Accessed Sept 2025)
  • 米国が出資する進行中の有人宇宙飛行(月面着陸)計画
  • 「在日アメリカ宇宙軍が発足 宇宙空間を担う新部隊 横田基地(2024.12.4)」, NHK HP https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241204/k10014658301000.html(Accessed Sept 2025)
  • 「海洋安全保障雑感(No.12)-米露INF条約と中国-」コラム126, 海上自衛隊幹部学校HP, https://www.mod.go.jp/msdf/navcol/index.html(Accessed Sept 2025)
  • 杉浦康之「情報支援部隊の創設に伴う中国人民解放軍の組織改編」, NDISコメンタリー第328号, 防衛研究所 2024.6.4
  • 1976年以降、長征ロケットの開発がすすめられ、民生利用のための人工衛星の開発と打ち上げが活発化し、海外の衛星も打ち上げるようになった。 中国の科学技術HP https://china-science.com/space/history/(Accessed Sept 2025)
  • 1992年に中国独自の有人宇宙計画がスタートし、1999年、中国建国50周年の年、神州1号の打ち上げに成功。その後2号から4号まで無人の実験計画をこなした後、2003年神舟5号を打ち上げ、中国は有人宇宙飛行の打ち上げに世界で3番目に成功した国となった。 中国の科学技術HP https://china-science.com/space/history/(Accessed Sept 2025)
  • 中国は、旧ソ連のミールに匹敵するサイズの宇宙ステーション「天宮」の建設を進めてきたが、2022年11月に完成が公表された。現在の構想では、コアモジュール「天和」および2つの実験モジュール「問天」と「巡天」から構成され、地上との間で有人宇宙船「神舟」と無人補給船「天舟」が往き来することになっている。 中国の科学技術HP https://china-science.com/space/history/(Accessed Sept 2025)
  • 1960年代に入ると、米国は核弾頭を装備したASATが開発・配備したものの、技術的課題、国際的な批判の高まりを受け、非核兵器によるASAT開発にシフトした。https://digital-commons.usnwc.edu/nwc-review/vol39/iss2/16/(Accessed Sept 2025)
  • Talia M. Blatt, “Anti-Satellite Weapons and the Emerging Space Arms Race”, Harvard International Review, 26. May. 2020, https://hir.harvard.edu/anti-satellite-weapons-and-the-emerging-space-arms-race/ (Accessed Aug 2025)
  • 第6章(1)から(3)は、“ARPANET” DARPA HP(国防高等研究計画局) https://www.darpa.mil/news/features/arpanet (Accessed August 2025)を参考に記述。
  • “Imagining the Internet’s Quick Look at the Early History of the Internet”, Elon University HP(米国ノースカロライナ州エロン大学)https://www.elon.edu/u/imagining/time-capsule/early-90s/internet-history/ (Accessed Aug 2025)
  • “A short history of the internet” (Dec 3, 2020), Science and media museum HP(英国国立科学メディア博物館) https://www.scienceandmediamuseum.org.uk/objects-and-stories/short-history-internet(Accessed Aug 2025)
  • 「情報スーパーハイウェイ」とは、情報の流通とアクセスのためのネットワークとしての役割を強調したインターネットの比喩であり、アル・ゴア副大統領によって提唱され、米国のすべてのコンピューターを高速通信回線で接続するという構想のこと。クリントン大統領が情報インフラタスクフォースを設立。1993年に発表された「国家情報インフラ:行動のアジェンダ」にて民間投資の促進が強調され、政府の役割は規制政策を通じて民間セクターの努力を補完することであった。
  • “Paul Baran and the Origins of the Internet” (Mar, 22 2018)(米国RAND研究所)https://www.rand.org/pubs/articles/2018/paul-baran-and-the-origins-of-the-internet.html(Accessed Aug 2025)
  • 菅野隆「新たな領域が防衛力ドメインに追加された背景(1)」 JADCレポート(2025.4) https://shift-jadc.jp/report/20250620/(Accessed August 2025)
  • 大熊康之,『軍事システムエンジニアリング』,P.227, かや書房(2014)

菅野 隆 (株式会社Japan Aerospace & Defense Consulting)

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